強い刺激で痛みがやわらぐのは、なぜか
人はなぜそれを求めるのか
それは本当に正しいのか
強めの刺激を受けたあとに、「楽になった」と感じることがあります。
しかし、それは必ずしも患部そのものが治ったことを意味するわけではありません。
痛みは、単に組織の状態だけで決まるものではなく、神経系や脳による調整を受ける感覚でもあります。(脳が意味づけした結果としての感覚・体験)
そのため、強い刺激が加わることで、神経系の働きによって一時的に痛みが抑えられ、「軽くなった」と感じることがあります。
また、人が強い刺激を求めやすいのは、強い刺激ほど「効いた感じ」を得やすいからです。
刺激がはっきりしているほど、変化を実感しやすく、痛みがやわらいだ感覚も強く記憶に残りやすくなります。
その結果、人は無意識のうちに、より強い刺激を求めるようになることがあります。
しかし、それが常に正しいとは限りません。
一時的に痛みが軽減したとしても、それだけで本当に改善したとは言えないからです。
刺激が強すぎれば、かえって身体に負担をかけたり、防御的な緊張を強めたりすることもあります。
「痛みが消える!?」とは
ここで参考になる考え方の一つが、アルント・シュルツの法則です。
これは、刺激の強さに応じて、生体機能の反応が変化するという考え方です。
一般には、次のように説明されます。
・弱い刺激は生体機能を活性化する
・中程度の刺激は生体機能を亢進させる
・強い刺激は生体機能を抑制する
・最も強い刺激は生体機能を停止させる←痛みが消えたように感じるのは、この段階です
つまり、刺激が強すぎると、一時的に感覚や反応が鈍くなり、痛みが消えたように感じることがあるのです。
この考え方からみても、刺激は強ければ強いほどよい、というものではありません。
例えば、頭部への強い衝撃によって起こるノックダウン(意識消失)は、過剰な刺激により脳機能が一時的に抑制・停止する現象です。
これは、生体が過度な入力から自身を守るための防御反応の一つと考えられています。
すなわち、「これ以上の刺激は極めて危険である」という生体の反応ともいえます。
このように、刺激が一定の閾値を超えると、活性化どころか機能の低下や停止を招くことがあります。
ここで疑問になるのが、意識を失うことで転倒し、かえって頭を打って危険ではないのか、という点です。
たしかに、意識消失には転倒による二次的な危険があります。
しかし、生体の防御反応は、必ずしも完全な安全を保証するものではありません。
その場でさらなる過剰入力を遮断し、より重大な障害を回避することが優先されていると考えられます。
また、文明が発達する前の太古の時代、人類が長い時間をかけて適応してきた環境は、現代のようなアスファルトやコンクリートの上ではなく、土や草地が中心でした。
そのため、転倒したとしても、現代ほど強い衝撃を受けにくい状況が多かったと考えられます。
つまり、このような反応は、生体が適応してきた環境の中では一定の合理性をもっていた可能性があります。
一方で、現代では生活環境が大きく変化しているため、本来は防御的な反応であっても、結果として別の危険を伴うことがあるのです。
もう一つの疑問があります。
意識を失えば、敵にとどめを刺される危険があります。
したがって、失神やノックダウンは、決して「完全に安全な防御反応」ではありません。
生体の防御反応は、常に最良の結果を保証するものではなく、その時点で最も差し迫った危険を少しでも軽減しようとする反応と考えられます。
すなわち、そのまま過剰な刺激を受け続ければ、さらに深刻な脳機能障害を招くおそれがあるため、機能を一時的に遮断し、外部からの入力を止める反応が優先されると考えられます。
このことから、生体反応とは「危険を完全になくす仕組み」ではなく、複数の危険の中で、その瞬間により深刻なものを回避しようとする仕組みと捉えるほうが自然です。
つまり、生体は常に完全な安全を実現しているのではなく、その状況の中で最も大きな危険を回避しようとしていると考えることができます。
最後に
強い刺激で痛みがやわらぐことがあるのは、身体が治ったからではありません。
実際には、強い刺激によって痛みを感じにくくさせているに過ぎないのです。
人が強い刺激を求めやすいのは、「効いた感じ」や「楽になった実感」を得やすいからです。
しかし、強い刺激が常に正しいわけではありません。
大切なのは、刺激の強さではなく、その刺激が身体にとって適切かどうかです。
また、強い刺激を取り入れる場合でも、受け身で与えられる刺激よりも、自分で動いて生み出す刺激のほうが効果的な場合が多いです。
いずれにしても、過ぎたるはなお及ばざるがごとしと言えるのです。






